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- 作者: 中尾佐助
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1990/09
- メディア: 単行本
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何かある分類が提出されると、それが最善最高のように感じて、それに固着するのは愚者のすることといえよう。分類は必要に応じて利用し、自分はまたおのれの独自の分類体系をつくり、それを駆使してみるべきであろう。それらの異なった分類体系は、何の支障もなく、共存できるはずである。現実問題としては、人間の数だけ異なった何かの分類体系が存在していると見た方がよいだろう。
- 背景
ジャンル論について考えるに当たって各個撃破をする余裕はないから、搦め手から攻めてみようと読んでみた。読んだのは3月なんでかなり忘れてる……
- あらすじ
植物学者である著者が、リンネ以来続く植物分類学を元に「分類すること」について語った本。
- 読み
人類の生み出した分類方法には以下の4つしかない。
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- 類型分類
類型分類の特徴は、その分類体系の中でクライテリオン(分類する基準のこと)選択の自由が無制限であることである。[…]類型分類はたいてい判りやすく分類されているので、一般的に使いやすいという特徴がある。ところが欠点も大きく、特にタクソン(ジャンル名のような分類上の呼び名)の設定に厳密性が欠け、その境界が不明瞭であるのが常である。そのため類型分類の結果は入念、詳細な研究には不適当となることが多い。
※()は筆者
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- 規格分類
ものさしで測定して分類すること。例えば、BMI 25以上を「肥満」と言ったり、収縮期血圧 140 mmHg以上を「高血圧」と呼んだりする分類方法である。
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- 系譜分類
系統樹を作ること。
たとえばこういうの。類型分類や規格分類で作られた枠を時間軸の中で「どうつなぐか」という方法である。
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- 動的分類
個々の分類が相互にいかなる関係にあるかを表す分類。要は、はてなでも用いられているタグのこと。
- まとめ
時間もないのでざくっとまとめると、定量化できないイメージのみに基づく分類には限界があるという話。だからといって、類型分類が無意味であるということには勿論ならない。
おそらく、絶対に零れ落ちてしまうものをどれだけ掬えるかが重要なんだろう。だからこそ、類型分類に基づくジャンル論はいつまでも流行るのだ。
世界は確率でできている
※『デスノート』劇場版前編のネタバレが含まれます!
- まえおき
タバコを一・四本吸う、炭鉱で一時間過ごす、カヌーで六分間移動する、普通の石造りや煉瓦造りの建物に二ヶ月住む*1。
これらは何の数字かというと、死亡する確率を百万分の一で上昇させる行為である。現在では統計学の進歩によってリスクを数値化し、相互に比較することができるようになった。
それを少し固く言い換えると以下のようになる。
ドイツの社会学者、ウルリヒ・ベックは、八六年の著作で、その性質を「リスク社会」という言葉で特徴づけている(注12)。現代社会に蔓延するリスクは、原子力発電にせよ食品添加物にせよ、市民が直接に知覚できるものではなく、「化学や物理学の記号の形でしか認識されない」。そのため、見えないリスクへの不安が人々を襲い、現代社会の秩序は、安全性の追求という新たな価値観を基礎として再編成されることになる。
波状言論>情報自由論>第5回
すなわち、現代社会は確率で動いているのである。
- 「ボーダーガード」的
確率を絵で表してみよう。
「ボーダーガード」というグレッグ・イーガンの短編がある。そこに登場するのが量子サッカーという変わったスポーツ。
量子をボールに見立てて、量子がある場所に存在する確率を操り、最終的にはゴールの中での存在確率が50%を越えると1点になる。
作者公式サイトにあるJava Appletからキャプチャーしたものを引用する。
キックオフ時にはこのように均等に分布する。線は確率の等高線のようなものだと考えればいい。
こういう風にゴールに集めていく。
ここで強調したいのは、普通のサッカーのように1点がクリアな形で入るのではないということ。
確率とはあくまで、もや〜としたものなのだ。
- 『デスノート』劇場版
続いて具体例。
Lの用いた捜査手法はどのようなものだったか?プロファイリングを使って、事件の特徴から、犯人である「可能性が高い」人間を絞り込んでいった。
そして、なんといっても最後の詩織とナオミの同時殺害である。
人を操って殺させるということができないデスノートのルール。そのルールを月が乗り越えた方法は、現在の日本において、同じ場所、同じ時刻に「銃を撃つこと」と「銃に撃たれて死亡」という二つの事象が起これば、その弾丸は同じであるという「推論」だった。
その間には飛躍があって100%成り立つとは言えない。しかし、極めて起こる可能性が高い事象であると月は判断し、実際に起こったのである。
ここでは、もや〜がスッキリした形であると見なされている。これが「確率を踏まえて判断する」ということである。
- 判断
ここであらためて注意してもらいたいのは、ベックがそこで、リスクの有無を技術的な観点のみで判断することの危険性を強調していたことである。リスクの大きさは、人々の生き方、つまり価値観に依存する。したがって、いくら技術者がリスクを価値中立的に評価したように見えたとしても、それは「まやかし」にすぎない、と彼は述べる。
波状言論>情報自由論>第5回
確率が具体的に分かるようになったとしても、それを並べた上で比較し、どれを選ぶか判断しなければ意味がない。
例えば、車に乗れば事故に会う確率が家で寝ているよりも高くなるとしても、家で寝てばかりいる人はいない。利便性と危険を比較して事故に遭う確率をゼロと見積もっているか、そうなった場合でも困らないように保険をかけて車に乗るのである。
このように、どのような局面であれ判断は生きていく上で一生つきまとう問題なのだ。
- まとめ
- 今の世の中は確率で動いている。
- それを比較した上でどう判断するかが重要。
*1:『リスクセンス ―身の回りの危険にどう対処するか (集英社新書)』より改変引用
SFセミナー行った
以下、覚書。メモとかとっていないので、不正確かも。
- 昼
SFプロパーではないからこそ、他人との差を出そうとしてリアルロボットを作った高橋良輔。
『傀儡后』にかわいいサインを貰う。
短編の受難と、その中から出てきた異形。発表の場の重要性。
- 夜
- Jコレ
5・6月の新刊は、小松左京賞の最終選考に残りながら「人間が書けていない」がゆえに受賞を逃した円城塔『Self−Reference ENGINE』と伊藤計劃『虐殺器官』の2作品。
円城塔は元金子邦彦研究室の人らしい。小松左京賞に落選後、その二十分の一の労力と時間(by 大森望)で手遊びに書いた作品が文學界新人賞を受賞。ペンネームの由来は、金子邦彦の『カオスの紡ぐ夢の中で (小学館文庫)』に出てくる「小説 進物史観−進化する物語群の歴史を観て」*1に出てくる小説を書くコンピュータから。
内容はシンギュラリティで「スタニスワフ・レムの憂鬱」とでも呼ぶべき作品であるらしい。会場では、初校?を20分割したものを配布していた。私が貰ったのは大量のフロイトが床下から出てくるという「Freud」の章だった*2。バカなことを大真面目な文章で書いてある印象で、これがどうやれば江戸とつながるんだろう?楽しみ。
伊藤計劃はここの人。黒丸尚に私淑していて、はてダのキーワードにある吉野屋コピペもこの方の手によるものらしい。それで塩澤編集長に文章を直されているんだとか。
二人が古橋秀之に言及していたのが印象的だった。
朗らかなおっちゃんだった。作品のイメージが……
審査員と仲が良いというのは大事なことである。
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- 映画
これからはトルコ映画が熱い!
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- SF研
時代によって変わるところもあり、変わらぬところもあり。