「推理」という言葉を使うには注意が必要だとかそんな話

 眠いし、手短に。
 ミステリープロパーの人たちが怒ったのは、てっきりその真相としてのガジェットに怒っていたのだと勘違いしていた。だから、SFというジャンル小説としてはそのガジェットはアリだし、みたいな論拠で話をしようと思っていたのである。
 しかし、本当の理由はどこにも「推理」の根拠になるような正確な記述がないのに、「推理」しろという風に言われたからだったのだ。しかも、このマーケティングは作者が確信犯的に狙ったものだった。
 『ひぐらし』における推理について私は、グラグラした脚立の上に登るようなことなのだろうと思っていたのだが、ちゃんとした推理小説の基準に照らしてみるなら、空中浮遊のようなものであるらしい。つまり、どこまでいっても一人称の人物の妄想でしたという選択肢を消すことができないと。
 じゃあ、世間一般で行われていた推理は何だったんだという話になるかと思うが、上述のような視点に立って私なりの解釈をするなら、すべて二次創作だったのではないだろうか。
 つまり、本当か嘘か分からない情報をつなげてそれを解釈することは、新たな物語(法則)を作り出すことなのだと思う。『ひぐらし』が「ゲーム」である理由の実態とはそのようなものだったのでは。
 そこで『エヴァ』的なものへと接続されると。