ゲド戦記

何かの作品を受容するには、まず「解釈」をしてから、「評価」をすることになる。
ここで言う「解釈」とは作品の要素を取り出して頭の中に入れることである。ヒトは限られた認知機能しか持たないから、「解釈」をする際に作品の持つ情報は必然的に減少、劣化してしまう。そこを補完するのが、他人と作品の話をする一つの理由であると思う。
第二段階である「評価」では、「解釈」して取り出したものの価値を定めることになる。これには個々人の価値観が大きく影響する。だから、「解釈」をして同じものを抽出した上で「評価」が異なることはありうるし、むしろ全く同じになることはありえないだろう。
前置きはこの辺にして、私の知る範囲では、この夏最も「評価」の悪いゲド戦記についてである。
何か良い「評価」ができるところを「解釈」の中で見つけようという意図の元、先輩と見に行った。
私がなんとか見つけたのは、音楽と町並みの二点だった。音楽に関しては、担当している谷山浩子新居昭乃も元からファンだったという理由である。私は音楽については、「解釈」を言語化できない上に、気持ちいい音か、そうでないか程度の「評価」しかできないので単にそうだとしか言えない。
ついで、町並みについて。これは絵の情報量の多さということだと思う。遠景からのながめ、市の猥雑さ、そこに並べられた商品なんかは流石ジブリだなと。
監督とその父親や原作者との関係についてゴシップ的な「解釈」をするならば、いくらでも面白い「評価」はできるだろうとは思う。でも、それは映画そのものとは離れた別の話なので、ここでは書かない。
二時間もかけて、このスカスカっぷりはなんなのか。巷でも言われているように、主人公の行動原理が全く分からないことや、テルーの変身の意味はとか、一応城の崩壊シーンは頑張っているらしいと聞いて期待していたのに……とか、貶そうとすればいくらでも貶すことはできそうだけど、まぁいいや。