パフューム−ある人殺しの物語−

  『パフューム』は匂いについての作品であり、どう頑張っても通常の劇場では表現することができない匂いをどうやって表現するんだろうと楽しみにして見に行った。
 そこで用いられていたのは二つの方法だった。一つは主観ショットの多用であり、もう一つは比喩である。
 まずは、主観ショットについて。

 主観ショット(Subjective Shot)とは、登場人物(或いはカメラマン)の視線とカメラの視線の方向を同じくして、登場人物が視ているものを撮ったショットを云う。つまり、主観ショットにおいては、登場人物と観客が一つの視覚(登場人物の心象も含まれる)を共有する。映画においては、「見る・聞く」という演技に限ってではあるが、観客が時々俳優と交代するのである。例えば、A・Bの二人が向き合い会話をするシーン中、Aの正面顔(撮影時、Aはカメラに視線を向けて話す)を撮ったショットは、Bの主観ショットである。Aは劇中ではBと対面しているが、スクリーンでは観客と対面している。観客はBと同化して映画に「参加」しAの話を聴く。
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf03/14-140-2002-Takeuchi.pdf

 具体的にどうやって演出されていたのかというと、まず鼻をアップで映し、その後でハエのたかる魚やラベンダー畑など匂いを出しているものを映す。そうすることで、グルヌイユと観客の主観を一致させ、何を嗅いでいるのかを分からせる。加えて、匂いを表現する場合には常に背後から風を吹かしていた。あたかも、スクリーンから香りが醸しだされるかのように。
 これは上手いなぁ、と感心して見ていた。
 続いて比喩。これは主人公が初めてオリジナルの香水を作る場面で使われていた。
 グルヌイユが作った香水を嗅いだパルディーニは楽園に連れて行かれ、美女からキスされる。多くの料理モノでこれまで培われてきたのと同じ手法である*1。こういう場面を見せられると笑ってしまうという回路が『将太の寿司』やら『中華一番』やらで育まれているもので、こちらの手法が上手く行っているのかわからない。
 一緒に見に行った人たちは全般的に匂いの描写は微妙だと言っていた。そういう人はこれでもつけてグルヌイユの香水を「体験」すればいいんじゃないでしょうか。
 

*1:宇宙まで飛び出たり、光ったり