『硫黄島からの手紙』

 『父親たちの星条旗』が現代における英雄がいかに作られ、消費されるのかを描いた作品であるとするなら、こちらはそれへの返答として、英雄なしでも状況を描写することで物語を構築できるということを証明してみせた作品だと思う。
 やばいという状況はこれでもかと見せるのに、時間の経過を具体的に描写していない。つまり、例の5日のところを30日持たせたというデータを持ち出さなかった辺りに誠実さが感じられるなと。あと、本来の英雄であった栗林中将は手紙を書いているか、何で伝令がとどかないと頭を抱えていただけだった。ついでに、あからさまに中間管理職から嫌な顔をされていたし。
 「正義」とは自分が正義と考えるもののことだという台詞が皮肉も含めて何度も繰り返される。その点で、最後まで逃げ続けた西郷がアメリカ兵に向かって暴れるシーンは印象的であった。
 この西郷という人物は現代と極限下の硫黄島を架橋するキャラクターである。当初、彼が「感情移入」することができたのは、妻と娘、そして同じ隊の友人たちであった。友人たちが死亡し、同じ隊の人間がすべて自決してしまっても、そこで撤退を選んだのは、感情移入していた妻と娘のためだっただろう。なのに最後、戦うことになった動機とは恩をかけてくれた栗林の拳銃をアメリカ兵が持っていたことに憤りを覚たからであった。あの銃が、突撃突撃を繰り返して、最後にはちゃっかり捕虜になっていた伊藤の持ち物だったとしたら、そんな行動をとったわけがない。
 結局、"Fraternite"の範囲でしか人は行動しないという当たり前といえば当たり前の結論である。
 でまぁ、そういう「感情移入」の範囲がどんどん狭まっているとして、みんなでコミットできるネタをつくりましょうというのも、犬を撃ち殺す憲兵*1みたいのが出てくると嫌だよねとかそういう話。

*1:虎の威を借る狐