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- 作者: 川端裕人
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2002/10
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主役をはる化石が巨大な竜脚類のものであったから、恐竜博のメインであったスーパーザウルスと同じだったりする。
作中では、恐竜を軸に核と宇宙をからめてアメリカを書くというアクロバティックな議論が展開される。でっかいもの=アメリカ=良いもの、という図式である。丁度、「宇宙へ」というドラマが再放送されていたのを見ても思ったんだけど、あくまで「アメリカ」のためになされた事業を「人類」のものへと読み替えることができた時代があったのである。まぁ、いまでも私はそういう風に「洗脳」されているんだけど。
それだけではダメってことで、グローバリゼーションに対するアンチテーゼを、文ばあに象徴される手取の自然が担うことになる。『ハイドゥナン』ほどには「と」になっていなかったのは、受信はあっても、送信がなかったからではないかと思う。
作品中に「科学」についての対照的なセリフが二つある。
真理への漸近線を描くことが、科学の永遠のテーマなのだ。
科学者は真理を追究するが、常に誤る。
仮に誤らなかったとしても、科学者が真理に到達することは絶対にあり得ない。なぜなら、その方法は常に「反証」に対して開かれていることを求めるからだ。科学理論が真理に到達したと認識された瞬間、それは科学ではなくなる。
同じことをポジティヴに受け取るか、ネガティヴに受け取るかの差でしかないと思う*1。
で、具体的な例として、作品中では分岐分析という進化の系統樹を推定する方法を持ち出してきて、その無効性を数学的に「証明」してしまう。
現在の分岐分析では、ある程度「正しい」進化の系統を知るために、種の7割の化石が必要であり、それだけの化石を発見することが不可能である以上、系統を考えることは無効だということになっていた。
この議論自体はホンマかいなと疑問に思ったので、次の本を読んでみた。
*1:コップの中の水は?というのと同じレトリック。