「これが僕の回答である。1995‐2004」 押井守

「WEIRED」と「サイゾー」の連載、あと未公開のインタビューが収録されている。
「実体験」など必要ないと言っていた押井が、「身体性の獲得」と言い出す辺りは、本人も言うように年をとるということなのだろうか。
気になったことを一つ挙げておく。映画について説明するときに、押井は「ドラマ」と「映画」という二項対立を用いている。
「ドラマの本質とは、ダイアログと状況設定にあ」るということになっていて、「映像的な主張」を持つのは「映画」だということになっている。*1
これを読んで成る程、と思ったのは、押井映画には「ドラマ」と「映画」の2面性があって、私が好きなのは「ドラマ」の方だった、ということ。そういうわけで、「迷宮物件」みたいな「メタフィクション作家」としての押井は好きだが、「天使のたまご」の面白さはサッパリ分からないのである。

*1:因みに、「ドラマ」の代表例として挙げられているのは「中学生日記」。