本を買う人

http://www.tohan.jp/tohan-news/06-12-05.html
http://www.honya-town.co.jp/hst/HT/best/year.html
 2006年度の年間ベストセラーが発表された。どうして二つのランキングが存在するのかという点については、日販と東販という取次ぎの話になるが、今回は省略。マンガがランキングに入らないことの詐術についても省略。
 で、私が比較的読んでいるフィクションの話。10位以内に入っているもののうちで、既読なのは『容疑者X』と『デスノ』の2冊だけだった。それ以外の本というのは*1、比較的よく本を読んでいる周りの人間を見渡してみても、読んだことがある人はいないと思う。
 私はそれに対して、2分化されているという表現を用いていたが、今回はその根拠を『趣味は読書。』からの引用で示したいと思う。
 まず、統計は省略するが、日本の読書人口(マンガを除く)を100人の村でたとえた記述。

もし日本が100人の村だったら、40人はまったく本を読まず、20人は読んでも月に1冊以下だ。しかも、ここには図書館で本を借りる人も、1冊の本を何人もで回し読みをしている人も含まれる。したがって、「読む」ではなく「買う」にシフトして「毎月1冊以上の本を買う人」「定期的に書店に行く人」「新刊書の関心のある人」などとなったらもっと少人数にちがいなく、純粋な趣味(余暇活動じゃ!)として本に一定のお金と時間を割く人はせいぜい100人の村に4〜5人、数にして500〜600万人がいいところかと思う。

 という訳で、そもそも「本を買う人」は少数派なんである。あと、この4〜5人は『窓ぎわのトットちゃん』、『五体不満足』等の戦後最大級のベストセラーであっても500万部であるという数字に基づいている。
 続いて、その4〜5人の中での分類として、「知識人/大衆」という階層モデルはなく、「多民族」モデルが提唱される。その中身は以下のようなものである。

  • 偏食型の読者

 ビジネス書しか読まない経営者、ミステリしか読まないサラリーマン、ファンタジー小説しか読まない高校生、歴史小説しか読まない政治家、専門書しかよまない研究者 etc.

 本であれば何でもいい、本ならば何でも読め。

  • 過食型の読者(読書依存症)

 年中本に関するゴタクばっかりこねている。書評や書籍広告にもよく目を通し、読んだ本についてあれやこれやと論評し、頼まれもしないのに、ネットで読書日記を公開したりする。目的がなくても書店があると入ってしまい、買う気がなかった本まで買ってしまう。「本の置き場所がない」は彼らの最大の悩みだが、きっぱり売り払う勇気もない。
-善良な読者(多数派)
 合コンや見合いの席で、あるいは会社の面接試験で「趣味は何ですか?」と問われたら、「はい、読書です」と明るく答える。履歴書の「趣味」の欄にも「読書」と書き、「本を読むのが唯一の楽しみで」と臆せず自己紹介する。「本には金を惜しまない」ことをちょっとした誇りとし、当然、書店の新刊書コーナーにもこまめに通う。(中略)
 ただし、「善良な読者」の唯一の欠点は、本の質や内容までは問わない点だ。「感動しろ」といわれば感動し、「泣け」といわれれば泣き、「笑え」といわれば笑う。(中略)
 自らの意識を根底から覆すような本は読みたくないし、後々までズシリと残るような重たい本も読みたくない。

 このモデルのポイントは善良な読者が多数を占めるが、だからといって彼らが「一般大衆」ではないとあらかじめ断っているところである。その上で、「善良な読者がベストセラーの主な購買層だ」と仮説を立てている。
 確かに、この仮説は「読書依存症」に属するであろう私の実感と合致する。

  • 結論

 ベストセラーを買う人たちもまた、趣味を読書とする人たちである*2

*1:宮部は除くにしても

*2:中身はともかくとして