『アシュラ (上) (幻冬舎文庫 (し-20-2))』『アシュラ (下) (幻冬舎文庫 (し-20-3))』

食糧がなくなったとき、ヒトはどうするかといえば、カニバリズムを行うのである。マヤ文明の研究で、貴重なタンパク源として人肉が存在した、というような文化人類学の本を昔読んだことがあるが、今の最先端がそういう解釈をしているかは知らない。
この作品は、そんな絶望状況におかれた人々の生きざまを描いている。凡百の作品と違うのは、単なる 獣/人間 という二項対立に落とし込まないところ。最終的には人間であり続けようとしたキャラクターも含めて、誰もが獣になってしまう。
でも*1

阿修羅とはの 迷いの世界の ひとつじゃ
いかり なげき 苦しみ きずつけられ 苦悩する 人間とでも いうのかな・・・・・・
戦っても 戦っても やぶれる やぶれるたびに きずつき また戦う
絶望的と 思いながらも かなしく むなしい 反抗を くりかえす
一生しぬまで くりかえす
あわれで あわれで あわれで いたいたしい
それでも 生きて いかねば ならぬのが 人

と僧侶に語らせるし、自分を食おうとした母親のなきがらに花を手向けるアシュラを見ていれば、そこには希望があるのかも、と思わせる。獣でありながらも人間を指向する何かがヒトにはあるのではないかと。
それが何に由来するのかを、アシュラを例に考えてみる。先天的に、すなわち遺伝的に持って生まれたものだとすれば、環境要因なしで、先天的な獣性と人間性がせめぎあっているという、身も蓋もない結論になってしまうので棄却する。
結局は、若狭から与えられた愛なんだろうね。

*1:ここ重要