おたくの話

 先日、おたくという人格類型、あるいは現象を語るに当たっては、偉い先生が何か言うという方法論だと、どうしても「風が吹けば桶屋が儲かる」式のロジックになりかねないから、実証主義的にもなにかできるといいだろね、というエントリを書いた。
 そしたら、同じようなことを考えている人がいたので紹介してみる。
http://d.hatena.ne.jp/otaku_interview/
 インタビュー形式によるケースリポートである。調査方法そのものによるバイアスについても考慮に入れた上で行われるこういう試みは、非常に好感が持てる。
 そこで興味深かった部分を一つ引用させていただく。

 昔パソコン通信ニフティサーブってあったんですけど、あの頃パソコン通信やってるってのはどういうことかっていうと、少なくとも中流以上の財産力をもってるんです。それだけの余裕がある暇な人たち。その人たちが実はTRPGっていう文化を積極的に育てた人たちだったんですよ。だから、TRPGってある意味では八五年から始まる『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の輸入から……輸入翻訳から二十一年ぐらい続いてるわけですね。
 でも、八五年から始まってるTRPGを、八〇年代後半から九〇年代前半にかけて支えたのがニフティサーブTRPGフォーラムってところなんです。あ、その頃はまだRPGフォーラムだったかな? Tとは付けてなかった。ここで洋ゲーを積極的に翻訳できるような知的レベルの高い人たちと、それと暇で教養もあっていろいろとものを知ってる人たちが遊んだら、それは面白いに決まってるじゃないですか。でも、インターネットが普及するまでにそのニフティサーブってのはあまりに権力をもち過ぎちゃったんですよね。
 それで、グループSNEっていう企業的な人たちが新しく「ソードワールド」っていうブランドを立ち上げて、そのTRPGブランドを中心に富士見書房とかそういったところで商業展開をした時に、ニフティサーブの古参のゲーマーたちが「なんだ、このゲームは。なんでこんなにオタクカルチャーに媚びてるんだ。おれたちが遊んできたのはそんなもんじゃない」、そう言い出して。例えば、自分の好きな『シャドウラン』でSNE派と原書派ってのに分かれたんですよ。海外ではこういう遊び方がされてるのに、こいつらは『シャドウラン』をだめにしたんだ。そんな話になったんですよ。だから、洋ゲー原理主義と、日本語で遊んでるライトユーザーとの間に決定的な亀裂が発生したんです。
 洋ゲー原理主義の牙城となったのが、それまで二十代から三十代のお金持ちたちが遊んできたニフティサーブだった。その中に馬場秀和さんもいた。その人たちの影響下の中で、「ゲームの遊び方はこれだ、お前らライトユーザーはだめなんだ」っていうようなやつらが出ちゃったんですよ。それで旧ニフティサーブはいまや2ちゃんねる掲示板ではすごい叩かれてるんです。「あのニフティサーブが日本のRPGをだめにした」って。「あの老害どもが」って言われるわけですよ。
 でも、自分はニフティサーブにぎりぎりで入会してデータを集めてみた結果、旧ニフティサーブのデータってのはすごい貴重なあるものがあることを知ってるんですよ。濃い議論や貴重なセッションログ、当時の未訳ゲームに関するTIPSのあれこれが。
http://d.hatena.ne.jp/otaku_interview/20070304

 これはそのまんま、先日あったライトノベルファンがSFファンをディスった一件と同じ構図だったりする。
 この辺りの論争に対する私見はこんな感じ。コミュニティに新しく人が入ってくると、その人たちを「薄い」として蔑み、それがそのまま世代論として流通してしまう。そりゃ生きてきた時間が違うから、知識量が違うのは当たり前。「姿勢」に質的な差異があるという言説についても、数が増えたから裾野が広がったのか、本当に全体の平均がずれたのか注意する必要があるだろう。
 少なくとも、情報収集を行うことで、こういった優越感ゲームが繰り返されているのを知るってのは価値のあることだと思う。
 で、おたくに戻る。「オタク・イズ・デッド」についても、おたく第一世代と呼ばれる世代のうちで、かつておたくであり、今はおたくではなくなってしまった「薄い」おたくがどの程度いるのかという部分を抜きには、質的な差を語ることができないのではないだろうか。昔は、あるいは我々はと語る(マスに向かって語れる)人たちが山の頂上にいるのは明白で、その裾野はどうなっているのか?ということである。
 絵にたとえるならこんな感じで。